もしもこの世にウノが無くて。
いま仮に、この世にウノ(UNO)が無くて、ページワン系のカードゲームも無かったとします。
そこへ、ドイツのゲームメーカーが「6ニムト」の代わりにウノを生み出し、ちょうど「6ニムト」が日本に来たのと同じようにして、代わりにウノが日本に来たとします。
このウノはどれくらいの知名度を得るでしょうか?。
1、このウノは人気のゲームになって好調に売れ行きを伸ばし、現実のウノと同程度の知名度を得るところまでたどりつく。
2、ボード/カードゲーム愛好家には面白がられるが、一般には広まらない。ちょうど現実の「6ニムト」とおなじような立場のゲームになる。
3、ウノは単純すぎてボード/カードゲーム愛好家にはやがて飽きられ、もちろん一般にも広まらず、消えていく。
感覚的には2になるような気がするのですが、特に根拠はありません。
なぜウノはこんなに名の知られたゲームなんだろう、なぜドイツゲームはウノに匹敵する知名度を得られないんだろう、ということを考えていてこの思考実験を思いついたのですが、結局よくわかりませんでした(笑)。なんなんでしょうね、ウノ。
(追記)
と、一度は〆たこの項ですが、ちょっと思いついたので追記。
考えてみれば、ウノとドイツゲームには顕著な違いが1つあります。ウノはドイツゲームに比べて、ルールがはるかに単純だということです。6ニムトと比べてさえ明らかにそうです。そしてこの点が、まさにウノの魔力なのかもしれません。
この場合、上の三択では1になります。世間に広まるためには、まさにウノのレベルの簡単なルールが要求され、それよりわずかでも難しいゲームはもはや広まることはできない、6ニムトですら一般に広がるには難しすぎる、という仮説です。もしこれが正しいなら、ドイツゲームが一般に広がることは実際問題としてありえないのかもしれません。
もちろん、ドイツでは現にボードゲームが広まっている、という事実が常にそこにあるわけですが。突き詰めたいなら国民性の違いについて話をしないわけにはいかないがぶっちゃけ国民性の違いはよくわからない、ってのがこのテーマの根源的な問題ですよね。
(さらに追記)
国民性の違いはよくわからない、と書きましたが、日本人は他の国の人より遥かに長い時間職場に拘束されている、という違いはありますね。ボードゲームは人と遊ぶものであって、子供が最初に遊ぶのは親なのであれば、親が毎日午後6時には家に帰ってきて週休二日でしかもバカンスがある国ではボードゲームが流行り、一方日本では子供は一人でコンピューターゲームをやる、というのがまさに国民性の違いなのかもしれません。