ドラマチック展開ジェネレーターとしてのゲーム

    遊戯王で考えるドラマチック展開ジェネレーターと用意されたストーリー
    そして競技としてのゲーム

 遊戯王というカードゲームがあります。日本発のゲームでありながら海外にも輸出され、カードゲームとしては世界でも5本の指に入る売れ行きを示す、非常に人気のあるゲームです。
 しかしながらこの遊戯王卓上ゲームに戦略や思考やゲーム性を求める人たちからはどうも一段低く見られてしまう傾向があります。その大きな理由が、運の要素が大きすぎる、というものです。遊戯王はカードゲームなので、いろんなカードを混ぜて切り、山札をつくります。その山札からカードを引いて遊ぶわけですが、何を引くかが勝負に大きく関ってきます。いいタイミングでいいカードを引ければ勝ち、引けなければ負け、それでは単に運のよしあしを比べているだけじゃないか、と言われてしまうのです。
 ここで遊戯王の名誉のために述べておくと、遊戯王には頭を使う要素も非常に多く、運が良いだけでは勝てません。遊戯王をやりこんでいるプレイヤーに、ルールを知っているだけの初心者が挑んだような場合、幸運の力だけによって初心者が勝てる可能性はかなり低いと言ってよいでしょう。
 しかしながら、ここではあえて遊戯王には運の要素が強いという点に着目します。それもまた確かな事実だからです。とても不利な形勢で、山札から決定的なカードを引いてきて逆転勝利、という展開が遊戯王には確かにあります。そこを指して、そんな運で勝てるゲームはつまらないよ、と指摘されるのであれば、その指摘には一面の真理があるのかもしれません。
 しかしながら、その指摘には根本的な不備があります。遊戯王は現に人気があり、ものすごく売れているという事実です。つまらないなら売れるわけはなく、面白いから売れているのです。子供だけに人気なんだろう、というのは単に事実を見ていない反論で、子供にも売れていますが大人にも売れています。つまり遊戯王は面白いのです。そして、遊戯王は運で勝てるゲームで、その欠点にもかかわらず面白いというわけではないというのが重要です。遊戯王は運で勝てるゲームで、だからこそ面白いと考えねばならないです。
 とても不利な形勢から、一発逆転のカードを引いて勝利! 勝った方のプレイヤーにとって、これは楽しいと言っていいでしょう。では、負けた方のプレイヤーにとっては? そこが問題になります。勝ったら楽しいが、負けたら楽しくないようでは、そのゲームは面白いとはいえません。遊戯王が優れているのは、負けた方にとっても、例えそれが運で負けたのだとしても、なお面白く感じられるゲームになっているからです。なぜ、運で負けても楽しいのか。それは、その展開がドラマチックだからです。
 遊戯王は、ドラマチックに展開することに特化したゲームなのです。遊戯王のカードは、ドラマチックな効果を持たされています。ときにいささか強力すぎるような効果のカードが存在するのも、ドラマチックな展開を優先するためです。遊戯王が遊ばれるとき、ひとつのゲームはひとつのドラマチックなストーリーです。そしてプレイヤーは、ドラマチックなストーリーの当事者なのです。
 ここにこそ遊戯王の人気の秘密があります。遊戯王はプレイヤーにドラマチックなストーリーの当事者になることを可能にします。そして、ドラマチックなストーリーの当事者になることには、ものすごく需要があるのです。これは実は、コンピューターRPGにおいて、壮大なストーリー志向の作品が人気を博しているのと近しい傾向です。コンピューターRPGでは、プレイヤーはドラマチックなストーリーの当事者になることができ、ドラマチックなストーリーの当事者になることこそが、多くの消費者の求めているところであり、だからこそストーリー志向のコンピューターRPGが売れます。遊戯王においては、プレイヤーはより短いながらもはるかに手軽な形でドラマチックな展開の当事者になることができ、ドラマチックな展開の当事者になることに膨大な需要があることこそが、遊戯王の人気の理由となります。
 もちろんそこには大きな違いもあります。コンピューターRPGには用意されたドラマチックなストーリーがあります。遊戯王にはそれはありません。にもかかわらず、遊戯王のゲーム進行はドラマチックなものになります。そうなるように、それを目的として、遊戯王というゲームは見事にデザインされています。すなわち、遊戯王は、ドラマチック展開ジェネレーターなのです。
 ゲームとして、運の要素が強いということはプレイの上手さは二の次ということではないか、という指摘ができます。これはまったくその通りであり、実は遊戯王の楽しさにとっては、勝てばより楽しいのは間違いのない事実ながらも、勝ち負けは本質的な問題ではないのです。これもストーリー志向のコンピューターRPGと同じです。ストーリー志向のコンピューターRPGもまた、ゲームではありながら、最終的には勝ち負けを問うものではないといってよいでしょう。
 なるほど、遊戯王がよく売れる理由はわかったし、遊戯王の魅力もわかった、しかしそうと知ってしまえば、ますます自分個人にとって遊戯王を遊ぶ理由はない。自分はプレイの上手さを競うゲームがしたいのだ。という意見があるでしょう。それはまったく自然ですし、好感の持てる主義主張でもあります。そして、ここから先が、この文章が本当に述べたいテーマです。
 ここまで、遊戯王について詳しく見てみました。それは遊戯王が、ドラマチック展開ジェネレーターとして非常に優秀であり、すなわちその例としてふさわしかったからです。ここまで読まれた方は、ゲームをドラマチック展開ジェネレーターとして解釈するという考え方に、ある程度なじまれたと思います。さて、問いたいのはこういうことです。遊戯王以外にも、ドラマチック展開ジェネレーターと解釈できる卓上ゲームは多いのではないか。我々はプレイの上手さを競うゲームで遊んでいるつもりで、実は気づかぬままドラマチック展開ジェネレーターを楽しんでいるということがあるのではないか。
 近年日本でもよく遊ばれるようになった、ヨーロッパ産のボードゲーム、あれらの中に、実は結構な割合でドラマチック展開ジェネレーターが混じっているのではないかと僕は考えています。最近のボードゲームは、運の要素を含みつつも、運の要素が大きいとプレイヤーに感じさせないようにデザインされています。また、ゲームの進行が単調にならないように、ゲーム中にプレイの味わいが変動していくようにもデザインされています。しかしそのようなゲームデザインこそが、言ってしまえば用意されたドラマチック展開であり、プレイヤーがドラマチックなゲーム展開に乗れるように意図してそれらのボードゲームは作られているということができます。もちろん、それぞれのゲームには勝つための技術があり、上手くプレイしたプレイヤーが勝つはずですが、ある意味では、上手くプレイしたプレイヤーはストーリー志向のコンピューターRPGをより上手くクリアするプレイヤーのようなものであるということも言えます。序盤には土地を開発することを競いなさい、中盤には資源を集めることを競いなさい、終盤には建築物を建てることを競いなさい──ある種のボードゲームは、遊戯王以上にドラマチック展開ジェネレーターであるとさえ言えます。ある意味では、そこには事前に用意されたストーリーまでがあるのです。ここまで来ると、何がドラマチック展開ジェネレーターで何がそうでないのかはどうにも入り組んだ問題になってきます。
 勝敗に対してプレイヤーの意志決定以外の要素が大きいが、それでも楽しいようなゲームが、ドラマチック展開ジェネレーターと言ってよいゲームでしょう。古典的なババヌキなども、ドラマチック展開ジェネレーターと考えることができます。一方、プレイヤーの意思決定が勝敗を大きく左右するほど、それはプレイの上手さを問うゲームに近づいてきます。しかしながら、あるゲームが完全にドラマチック展開ジェネレーターであると言ったり、完全に勝ち負けを問うゲームであると言ったりすることはできず、最終的には割合の問題になるでしょう、囲碁、将棋、チェスといったゲームでさえ、ドラマチック展開ジェネレーターの要素を一定以上含んでいることについては、どなたにも同意いただけることでしょう。もっとも、囲碁、将棋、チェスのような競技性の高いゲームは、プレイヤーの腕前に差がある場合などに、とてもドラマチックとは呼べない展開、負けた方には楽しいとは言えない展開になることが珍しくありません。つまり競技性の高いゲームはドラマチック展開ジェネレーターとしては劣っているわけです。ババヌキが優れているのは、プレイヤーの腕前に格差ができず、それこそ幼児と大人であっても楽しく遊べるゲームであるという点です。すなわち、パーティーゲームにはドラマチック展開ジェネレーターがふさわしいです。
 本稿の目的は、卓上ゲームを遊ぶ人が、自分の求めているのはどういうゲームなのか、自分が遊んでいるのはどういうゲームなのかを整理できるようにすることにあります。自分はあるゲームがすごく好きなのだが、どこが好きなのかを自己分析したい、自分はあるゲームに違和感があるのだが、何が問題なのかがわからない、などの場合に、ドラマチック展開ジェネレーターとしてのゲームという考え方を当てはめることによって、今まで見えなかったものが見えるかもしれません。自分はゲームにおいて勝ち負けを楽しんでいると思っていたが、実は自分が楽しんでいたのはドラマチック展開だったとか、他の人はすごく面白いというゲームを自分はいまいちだと思っていたのだが、他の人はドラマチック展開を楽しんでいて自分だけがプレイの技術的な部分を重視していたとかが明らかになる場合もあるでしょう。
 この話をさらに敷衍すると、プレイヤーがドラマチック展開を楽しむことに特化するあまり勝敗を度外視してしまう可能性や、近年のテーブルトークRPGの展開はゲーム性を減らしてドラマチック展開ジェネレーターに近寄っていく方向性であると解釈できるのではないかなどと論じることもできそうですが、それでは話が広がりすぎるのでひとまずここで筆をおくこととしましょう。

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