棲み分けをしよう

 一口にボードゲームを遊ぶと言っても、遊び方にはかなりいろいろな個人差があります。勝つことを第一の目的とする人と勝つこと以外の楽しみを見出す人、互いのプレイの善し悪しを論じ合う人とそれをいやがる人、ぱっぱっとプレイを進める人とじっくり考える人。
 遊び方のスタイルが違う人とのプレイがあまり楽しめなかったということはよくあります。そういう問題を論じた文章もネットを探せばたくさん出てきます。
 ここでは、スタイルの違う相手を避けるというのは別に気が咎めることではないのだ、という話をしようと思います。
 ボードゲームというものは、人間を相手にしてこその遊びだと言ってよいでしょう。人間相手でなくてもよいのならば、コンピューターゲームで十分ですから。(というか、多分十分だろうと思います。僕はコンピューターゲームはやらないので推測で言ってます。)。ボードゲームが人間を相手にすることと不可分であるならば、プレイスタイルが合わない人とプレイしなくなっていくというのは特に問題ではなく、むしろ自然な結果だと思います。例えば日常的な人間関係において、声をかけたり雑談をしたりする相手と、そうでない相手ができるのは、話が合うかどうかで相手を選んでいるからです。話が合わない人とは話さなくなっていきます。それは別に相手が悪いわけでも自分が悪いわけでもなくて、話が合わない人間同士で話しても実りがないからです。ボードゲームについても同じで、いっしょに卓を囲んでも実りがない相手というのはあると考えるべきです。
 こういった内容の話は、道義的によくないというイメージがあるかもしれません。学校の先生は多分顔をしかめるでしょう。しかし、道義というものはTPOによって変わるものです。学校の先生がみんなで仲良くしなさいと言うのはもっともな話で、誰とでも仲良くするというのは社会で生きていく上で必要なことです。なぜなら、クラスメートも、職場の同僚も、自分で選べるわけではなく、にもかかわらず仲良くしなければならない相手だからです。しかし、ここで問題になっているのはボードゲームで、つまり遊びの場です。自分の好きなことを楽しむために、同じものを好きな人間同士が集まる、それが趣味というものです。そのような場で、集団生活の倫理みたいなものを持ち込むのはむしろつまらない話です。趣味の集まりだからこそ、そこでは相手を選ぶということをしてもよいのです。
 ちなみに、なぜこのコラムを書くことになったかというそのキッカケは、ゲーム会のメンバーでTRPGやろうかという話が出たことでした。どこのゲーム会でも多かれ少なかれそうだと思うんですが、TRPGやってないけど興味はあるんだよねー、みたいな人がけっこういるのです。で、その時は半分みんな本気になってて、やるならどんなスタイルがいいかという話をしていたのです。で、僕が「SNEのリプレイみたいなのがやりたい」と言ったら、他の人々が「あ〜」と言って、で結局やらないことになりました(笑)。まあ、悲劇が起きるのを未然に防いだと(プラス思考)。でも、真面目な話、これはやってもしょうがなかったということでしょう。そういうことはあるのです。すごくわかりやすい例ですねこれ(笑)。
(以下補足)
 でも、もう少し話題を広げると、こういった、よく聞かれるプレイスタイルの相異の問題のいくつかは(多くは、と言ってもいいかもしれないですが)、要は「相手プレイヤーが不愉快な人間性の持ち主だった場合どうするか」ということを、そういう表現を使わずに検討しているだけではないのかという気がします。そういう相手とは遊ばないようにするしかないですよね。
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