ハイパーロボットをとても弁護する

 アレックス・ランドルフの傑作ゲーム“ハイパーロボット”が、とにかく大好きなんですよ。十点満点で十点くらい。ゲーム会に来たけれども今日はどうも頭がぼんやりしてるなあというような時でも、このゲームをやると3セット目くらいにはパキパキに冴えてきます。このゲームをした後では、他のゲームの勝率も明らかに上がるんです。それくらいイカしたゲーム。
 ゲームの概要はこのページに。
http://ejf.cside.ne.jp/review/rasenderoboter.html
 このゲーム、僕はたいへんに好きなのですが、けっこう好みの分かれるゲームで、やりたがらない人もたくさんいるのです。
 で、ここで僕が問題にしたいのは、好みが分かれる。という理由でこのゲームの評価が低くなることなんです。インターネットには、ボードゲーム紹介ページがいくつもありまして、その中にはいろんなゲームを寸評したり採点したりするものがあります。で、ハイパーロボットというのは大体十段階評価で七くらいのところにいまして、決まり文句のように「いいゲームなんだけど好みが分かれるのでこの評価」といったコメントが書かれているんです。だけどそれって変だと思うんですよ。
 例えば──なんでもいいんですけど──VINCHというゲームがあります。で、このゲームを好きな人もいれば好きじゃない人もいます。でも「VINCHというゲームを好きな人と好きじゃない人がいるのがVINCHの欠点だ」とは言わないですよね。あるゲームを好きになる人とそうでない人がいるのはあたりまえですから。
 モノポリーというゲームを嫌いだという人はけっこういます。おそらく、その人たちに理由を聞いてみたら、なぜ自分はモノポリーを好きでないのかという理由がいくつも挙がってくることでしょう。「運の要素が強過ぎる」とか「逆転ができない」とか「交渉がタフ過ぎる」とか。でも「モノポリーを嫌いな人が多いこと」を理由にモノポリーにマイナス評価をつけることはないはずです。それは堂々巡りでしょう。
 それなのに、ハイパーロボットに関してだけは、好き嫌いが分かれることを理由に評価が下げられてしまう傾向があるんです。たいへんにヒドイ話です。
 また、弱いプレイヤーが強いプレイヤーに勝てない、という理由でハイパーロボットの評価が下がることもあります。だけどこれは上の「好みが別れる」よりもさらに輪を掛けてヒドイ理由です。プエルトリコだって、やりこんでるプレイヤーに対しては、ちょっとやってみた、みたいなプレイヤーではほぼ勝てないですよ。
 なんというかこう、自分は好きなんだけど好きじゃない人に気兼ねしちゃうからこその七点だと思うんですよ。でも、そのゲームを好きな人は十点、嫌いな人は零点をつけて、それは平均すると五点くらいになる、というのでいいじゃないですか。十点つけましょうよ、十点。