なぜ「汝は人狼なりや」で人狼が勝つのか

汝は人狼なりや?」というゲームがあります。どういうゲームかははてなダイアリーのキーワードをどうぞ。
このゲーム、人狼はだいたい二人で、村人は十人からいるとしても、すごい確率で人狼が勝つんですよね。経験的に、八割くらいは人狼が勝ちます。それは人狼が上手いこと世論を操作しているからでしょうか? 多分そうじゃないと思うんですね。多くの場合、殺される村人が決定される理由はあとから考えるとてんで的外れです。で、殺される人の抗弁はたいがい役に立ちません。もちろん人狼は自分とパートナーが選ばれないようにするわけですが、普通の村人だって自分が選ばれないようにするわけです。人狼同士は結託して誰かを選ぼうとしますが、村人Aが誰かを疑いはじめたら、それに同意する他の村人はすぐに出てきます。
だから、いろんな意図が複雑に絡み合う結果として、殺される村人はもうほとんどランダムに選ばれていると言い切っていいと思うんですよ。しかしだとすると、確率的に言って、そんなにいつも人狼が生き残るのはとてもおかしいわけです。長いことそれを疑問に思ってたんですよ。
ところが、ある日自分がマスターをやってるときに、ふっとその答えがひらめいたんです。マスターというのは、じつはかなり世論を左右できるんですよ。討論の時間は5分、とかまあ一応決まってるわけですが、運用上はだいたい議論が一区切りついたときに裁決します。で、世論というのは、あの人が怪しい〜〜この人が怪しい〜〜という風に移り変わっていきます。どこで討論を打ち切るかはマスターの裁量です。つまりマスターには、今裁決をとれば誰が殺される、ということが見えるので、死なせたくない人を選ばれないようにする力があります。その人から疑いが逸れたタイミングでもって投票に移ればよいのです。
そして、マスターは、心情的にはかなり人狼のシンパなのです。
……恐ろしいことです。
 
(補足)上記を考慮に入れれば、マスターの振舞いを考慮にいれた「メタ推理(笑)」が可能です。まあそこまでしなくてもという話ですが。しかし、一度メタ推理が行なわれれば、その後はマスターもメタ推理ができないようにより中立的になるでしょうから、その先が真の「汝は人狼なりや」の攻防となると言うこともできます。まあそこまでしなくてもという話ですが。
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